SHIN'S ESSAYS(エッセー集)
2002年5月4日
NHK「さくら」の中の異文化コミュニケーション(4)
■ NHKの新番組
NHKの番組「さくら」には日米の異文化現象がたくさん。長年海外に住むと日 米間に横たわる不可思議な違いを発見します。そんな話題を番組の中から拾ってお話しします。
「雨降って地固まる」
さくらがおじいちゃんから怒られて学校に戻ってきます。もちろんアメリカでも、さくらのように学校をすっぽかしたら大変な責任問題です。 番組では気のいい校長の「まあ水に流しましょう」という一声で終わりましたが、さてアメリカならあんなに簡単に行くかどうか。
でも、さくらが「もう一度チャンスを下さい」と粘りましたね。「あと一度のチャンス」という言葉はアメリカでよく使われるフレーズです。粘られるのなら粘ったほうが得ですし、案外効果 があるものです。さて、同僚の桂木先生が、高校生たちの頭を持っているノートか何かで軽く叩くシーンがありましたね。実際にあれだけのことで、「暴力をふるった」と訴える生徒がいるかもしれないので、くわばらくわばら。
話がそれますが、アメリカの小学校で実際に5,6年前あった出来事です。代理の先生が小学校3年生のクラスに来ました。先生は黒人の男性。良い先生だったそうです。ところが、ある日「あの黒人の先生が私に触った」とクラスの女の子に訴えられました。激怒した親たちは校長に掛け合ってすぐに彼は首。地方の新聞、テレビにも載り、裁判にかけられたのです。まさしく、その先生は「社会から抹殺される」寸前にありました。
ところが、です。実は女の子が嘘をついていたことがばれました。まさかそんな重大なことになるとは知らなかった同じクラスの男子生徒が、罪の重さに耐えかねて、母親に真実を語ったのです。
なんと、嘘をついた女の子は、「あの黒人の先生が嫌いだから」とクラス全員に1ドルずつわたして買収し、口裏を合わせるように頼んでいたのでした。しかし、黒人の代理教師の心は深く傷つき、結局彼は学校にもどりませんでした。 もし桂木先生がアメリカにいて、彼のことを嫌いな生徒がオーバーに「あの先生は分厚い本で頭をがーんと殴った」と言えば、たぶん大変な問題になることでしょう。
ぼくも一度、下手をしたらそういう目になったかもしれない体験があります。
日本語の授業中に、新入生のロバートが紙屑を後ろの席からポーンと私の横にあるゴミ箱に投げました。それは、ゴミ箱の中に入りませんでした。ロバートはとても明るく、良い子でしたが、「それはだめだよ。ちゃんと前に来てゴミを拾いなさい」と注意しました。彼はヘラヘラと笑いながらやってきてゴミを拾い、ゴミ箱に入れたとき、「もうするなよ」とちょんと彼の尻を足で蹴ったのです。 ぼくとしては、軽いジョークだったのですが、真ん前にいた女の子が目を丸くしてぼくを見ました。その反応に「こりゃ、やばい」と思ったのです。蹴られたロバートは「すみません」と謝りながらまたヘラヘラと笑いながら席に戻ったので、別 に問題にはなりませんでしたし、目をむいて驚いた女の子もぼくによく質問して勉強する生徒だったので、それ以上の事はありませんでした。 しかし、もし前述のような子供がいたら、マイノリティーのぼくは完全にマスコミと弁護士の餌食になっていたことでしょう。さて番組の話にもどります。 生徒たちがついに英語教師にくってかかりましたね。「先生がしむけたから」と。良かった良かった。本当はあんな状況になったから反発するのではなく、さくらが校長、教頭、英語の沢田先生の前でみんなの意見を尋ねたとき、はっきりと言うのがベストだったのでしょうが、まあ、仕方がありません。しかし、日本人の特徴の一つに、その場で自分の意見をいわず、あとからどうのこうの、というのがあげられます。
関西方面に住んでいたときある体験をしました。地区住民のお世話をしたことがあるのですが、町の安全問題に関する住民会議で議長になって懇談会をもったとき、我々日本人の悪い部分を見たのです。
ある議題が提案され、議論を尽くし、「これに関して反対の意見はいませんか?」と何度も尋ねた後で挙手による投票をしました。ほとんどの人が賛成の挙手をしました。「それではこれでこの議案が通 りました」とこれを宣言しました。ところが、会議が終わる直前に「先ほどの議案には問題がある」とまた持ち出し始めた人がいたのです。結局、それはそのまま通 過しましたが、数名がまた束になって反対し始めたのには正直驚きました。
なぜ、あの場で反対意見を言うチャンスがあったのに、言わなかったのか。実は、こんなケースがその後も続き、ぼくはもうあきれて議長を辞し、会議には2度と行かなくなりました。
授業中に先生に尋ねてはいけないという風潮が日本に時々見られますね。ぼくは日本では塾で教え、アメリカでは公立小学校、私立高校、州立大学、そして日本に帰ってくると講演会に呼ばれてお話をさせていただく機会があるのですが、質問はいつも大歓迎です。なぜなら、話が面 白くできるからです。ところが、ぼくが九州のある進学校で学んでいるとき、生物の授業で先生が黒板に書いた漢字が分からなかったものですからつい「先生、その漢字はなんと読むのですか?」と尋ねてしまいました。すると、その先生は「君、こんな漢字が読めなくて、よくこの学校に入学できたね」と東大出身の生物の先生はそう皮肉を言ったのです。
僕は日本の小学校を卒業していなく、中学2年生の時に外国から帰ってきて、漢字が書けなかったの1学年落ちて、必死に漢字を覚え、やっと念願の進学校に行けた人間です。ですから、入試に出るような難しい漢字は知っていても、逆にみんなが当然小学校の時に習って知っているような簡単な漢字を知らないことがありました。 ぼくはつい、「でも先生、知らない漢字があったとき、尋ねてはいけませんか?」と口をとがらせて言ってしまいました
さあ、それからが大変でした。担任でもあったその先生は、顔色がさっと変わるや、めがねをとって、「君はなぜこのAクラスにいると思うのかね。ここは…」と延々と自分が担当するクラスの優秀性、さらに進学したいのならクラブ活動をするなという説教に変わりました。その先生の忠告を無視して、音楽クラブに入っていたぼくは、ずっと授業が終わるまで立ちっぱなしで先生の個人攻撃を浴びせられたのです。
これがきっかけになって、好きだった数学、物理などから離れ、文系にいって今の自分があるのは不思議な縁ですが、ぼくの心は先ほどの黒人の先生とは逆の立場で心がずたずたになりました。クラスのみんなが慰めの言葉を投げかけてくれましたが、ぼくはその時の悔しさと情けなかった気持ちを今でも覚えています。
一昔前、日本では教師は神様みたいな存在でした。アメリカでもひと昔はやはり同じだったそうです。しかし、日本では主に男性が教師だったのに反し、アメリカでは女性の職業でした。今でも、学校によっては女性の方が多い公立学校はいっぱいあります。
英語教師の沢田先生が、文法に固執する場面がありました。文法に関しては日本人の方がずっとアメリカ人より明るいですね。
英会話能力と文法がバランスよくとれているほうが良いわけですが、これからメールでやりとりする機会が増えますので、学生のころ「英会話一辺倒」だった私のような人間は文章を書く必要に迫られてくると苦しみます。「バランスよく」。これが大事です。
さくらが週2回の会話教室を校長から頼まれ、「自信があります」というと、桂木先生が「よくいうわ」というシーンがありましたよね。 あれは短いシーンですが、日本人とアメリカ人の気持ちの持ち方といいますか、それを表した重要なシーンだと思います。
我々日本人は、奥ゆかしさを重んじる人種です。人前にしゃしゃり出て、自分を出さなくても、黙っていれば「以心伝心」分かってくれる、とまるで映画か小説の主人公きどりで思っている部分があります。しかし、これは日本だけにしか通 用しないことを肝に銘じて下さい。 確かに日本人の奥ゆかしさ、シャイな部分を尊ぶ外国の人たちもいますが、それは日本人を、日本を知ろうとするかなりの知識人で、一般 の人にはわからない心情です。
とくに、人種のるつぼといわれるアメリカでは、日本人も中国人もベトナム人もタイ人も、韓国人もインド人も、全部ひっくるめて「アジア人」です。ですから、あれは日本人だからなどとかまっている余裕がありません。 外国ではシャイな部分をとっぱらって、自分を売り込むためにどんどん自分の意見を言わねば聞いてくれません。
英語に「きしむドアには油がさされる」ということわざがあると友人が教えてくれたことがあります。自分はここにいるぞ、こんなことを訴えたいんだ、というジェスチャーや訴えを起こしているといつか誰かが聞いてくれる、という意味だそうです。その点、同じアジア人でも中国本土の人(台湾の人は日本人的です)や韓国人は実にどうどうと自分の意見を言います。たとえ、聞いていて変だなという場合でも。
ラテン系は、もうしゃべらせたら全然関係のない話に発展して、授業はあっというまにラテン系の人たちのサロン状態で終わりそうです。でも、まったく他意はなく、とにかく底抜けに明るいからです。
最後に、桂木先生から「アメリカ人は口がうまいから」と言われますね。日本人にそう思われても仕方がありません。外国に行けば、その国の人に気に入られるように、ある程度おべんちゃらをいうのはどこの国の人でも同じです。ただ、アメリカ人は日本人より一般 的にジェスチャーがオーバー。日本人が5くらい良いと思ったらあちらの人は10くらいに良いと表現する傾向があります。ですから、言われたことを鵜呑みにしないように。感情表現が豊かだ、と思ってあげて下さい。これも文化の大きな違いなのです。
NHK「さくら」の中の異文化コミュニケーション(4)