SHIN'S ESSAYS(エッセー集)
2002年 6月6日 (木)
NHK「さくら」の中の異文化コミュニケーション(26)
■ NHKの新番組
あのドラマの中で起こる様々な事がらから日米の文化・習慣の違いをたくさん学ぶことができます。 そんな違いを18年間(アメリカと中米)に在住した体験を通して話していきたいと思います。
「日本風アレンジ」
NHK「さくら」はどんどん進行しているのに、ぼくのこれはまだ1ヶ月前の話をし ていて申し訳ありません。それほど番組の中に拾えるテーマがあるので、つい遅れて しまうのです。ご勘弁いただき、おつき合い下さい。
では、昨日の冒頭で予告しましたように、中曽根校長の「日本人は外国のものを日本 流にアレンジするのが好きなんです」という教育編の続きを今日の酒の肴にしたいと 思います。
「日本の英語教材がアメリカ人から見ておかしいかもしれないけれど、日本の英語教 育ではそれはしかたのないことです」 という内容を番組の中で校長の口をかりて伝えていました。しかし、これはどう考え てもおかしな理屈で、番組を見ていて、 「おや?あれだけ良識ある校長のように見えた人が、急に文部科学省や教育委員会に おもねるような優等生になって…」 といささか白けてしまったのです。不思議ですねえ。それまで「物わかりの良い校長 だなあ」と感心しながら見ていたのに、このセリフを彼が吐いたとたん、別人のよう に見えてきたのですから、人間の心理とは怖いですね。中曽根校長の人格をNHKが そこまで計算して言わせたセリフなら脱帽ですが…。
ともかく、日本の入試に必要だからという理由で、アメリカでは一般 に使われない英 語表現を教えるというのが事実なら、これを学習させられる子どもたちがかわいそう だとしか言いようがありません。
こんな話があります。長女が一昨年トルコを旅行したときのことです。 タクシーの降り際に運転手が「さらばじゃ」と言ったので、冗談で別れの言葉を言っ たと思っていたそうなのです。ところが別のタクシーの運転手も「さらばじゃ」。いろ いろなところでこの侍言葉を聞いて、どうやら「さらばじゃ」は「さよなら」として 定着しているようよ、と娘は笑いながら話してくれたことがあります。日本人の誰か が冗談で教えたか、あるいは黒沢明監督の昔の映画などをみてまねをしたのかもしれ ませんが、文法的には間違っているわけではありませんし、りっぱな日本語です。し かし、現在は使われていないわけですから、もしトルコで使われている日本語教科書 の会話文に「さらばじゃ」と記載されていたら、だれでもひとこと言いたくなるでし ょう。
番組中の中曽根校長や、沢田先生にああいうように言わせたのは、NHKの文部科学 省や現場の英語教師の皆さんへの気配りからだと思います。でも、番組を見ている人 たちに「変な英語表現でも日本の教科書なら受験のために許せるのだ」という誤解を 与えたかもしれません。校長にはあのようなセリフは不要でしたし、沢田先生にもど うせ言わせるなら、「英語の発音も大事だし、気持ちが通じるコミュニケーションも大 事」としていたら、両方とも大事という強いメッセージとして伝わってきたでしょう。
欲張って言わせていただくと、「ぼくも少しは相手に通じるような発音ができるよう努 力しようかな」とか、「発音も大事だし、気持ちが通じるコミュニケーションも大事。 そしてもっと大事なことは話せる内容をたくさん持つことだね」などと沢田先生に言 わせていればかっこよかったでしょうね。
いずれにしても、その使い方がよくわからないまま受験用英単語や文法を丸暗記し、 これに費やす子どもたちのエネルギーは大変なものです。ですから、暗記したことを 無駄にしないで、なんとか活かせるような方向にもっていきたいものです。
実は、ぼくは2004年からインターネットを利用した「ビジネス英語」を東京の某 私立大学で教えることになっています。このお話が来たとき、カリキュラムの中にベ ーシックな英文レポート提出を入れようとしましたら、「いえいえ、うちの大学生の英 語レベルはそんなにいっていないので、もっと程度を落として下さい」と頼まれまし た。日本でも名の知れた大学に入学した学生たちがアメリカの中学生レベルの英語に 戸惑うだろうかと、いまだに信じられない思いでいます。
しかし、日本にふたたび住みはじめて、この10数年で確かに子どもたちの教育レベ ルが低くなりつつあることが分かってきました。アメリカが「教育改革」を20数年 前の日本のレベルを目標に実行していますので、あと4,5年もすると日本は教育の 面でもアメリカに追い越される可能性が大です。
一人の日本人として、いったい何が出来るのだろうと、ひとり悶々とすることがあり ます。 今日の別の話題として、さくらの婚約者ロバートがハワイに帰る前に、「日本人」と 「外国人」の違いを生徒の前で話すシーンをとりあげます。
あのシーンのメインポイントは、考え方を異にする両国民はしっかりコミュニケーシ ョンすれば互いに分かり合えるというものでした。国家同様、人間誰しも自分は正し いと思っています。そんな人間理解の潤滑油はコミュニケーション、対話ですよね。 特に今、ワールドカップで燃え上がっている日本国内では、個人レベル、市民レベル で対話が進み、お互い理解しようと努めています。
現在、このワールドカップのおかげで日本の各地に小さな「人種のるつぼ」状態がで きています。アメリカはこの規模の何百倍ものスケールで「人種のるつぼ」が長い間 できているわけです。そんな所ではとくにコミュニケーションが大事ですから、なお さら自分の意見を明確に打ち出さないと誤解が生じます。これが日本という島国とア メリカという大陸に住む住民の「対話」に対する認識の高低につながっています。し かし、これからはインターネットでますますこの「対話」が必要となり、ネットの6 0%以上が英語で交わされていることを考えると、意味の通じる英語が使えることは 今後さらに重要になってくるのでしょう。
NHK「さくら」の中の異文化コミュニケーション(26)