SHIN'S ESSAYS(エッセー集)
2002年 6月4日 (火)
NHK「さくら」の中の異文化コミュニケーション(24)
■ NHKの新番組
あのドラマの中で起こる様々な事がらから日米の文化・習慣の違いをたくさん学ぶことができます。 そんな違いを18年間(アメリカと中米)に在住した体験を通して話していきたいと思います。
「誉め上手、誉められ上手」
今日は日米の異文化コミュニケーションで最重要の一つとも呼べる「誉める」ことについて、 番組の中から取り上げたいと思います。
英語のスピーチコンテストで頑張った二人の生徒。優勝した生徒にでさえも英語教諭の沢田先 生は内心嬉しいのでしょうがさほど誉めず、「受験にむかってがんばるんだぞ」とだけ言います。 コンテストに出た生徒たちに差し入れをしたくらいですから、気にはしていたのでしょう。「さ くら」はテレビ番組ですし、日本の教育現場をかなり誇張している部分もあるでしょうから、 実際に同じ事があった場合、沢田先生のような反応をする先生は少ないとは思います。それで も茶の間で見ている日本人なら「まあ受験校ならあんな先生がいてもおかしくない」と思われ るかもしれませんね。でも、もしこれがアメリカなら、「なんとまあありもしないようなシチュ エーションをつくる番組なんだろう。見るのやめとこう!」とスイッチを切る人がいてもおか しくありません。
まだ、一般的に日本では「叱咤激励」で叱って伸ばす方法を選ぶ傾向があるように思います。 しかし、女子マラソン金メダリストの高橋尚子選手を育てられた監督が証明されているように、 徐々に「賞賛激励」方式(こんな日本語はないでしょうね。自分で作った言葉ですので無視し て下さい)が認知されつつあるようでこれからどうなるか楽しみです。
ただし、何でも誉めればいいと言うわけではないので、本当に人を誉めるのは難しいですよね。 そのあたりを実例を取り入れながら少し掘り下げてみましょう。
「豚もおだてりゃ木に登る」。なんだか人を誉めるとき、日本ではいつもこの言葉がジョークと して会話の中に出てくるような気がします。日本語では誉めることの効果をこんな言い方でし か表現できないのでしょうか?考えたのですが、思いつきませんでした。「そそのかす、あおる」 を意味するこの「おだてる」には、「本心ではないけれどおべんちゃらなどを言ってその気にさ せる」というネガティブな意味が隠れていますよね。例えば「おだてに乗りやすい人」と言わ れていい気分になる人はいないでしょう。別に誉められている訳じゃありませんから。
このあたりが、日米習慣の大きな違いの一つではないかと思っています。つまり、アメリカで は「おだてる」のではなく「誉める」のです。心の中ではおだてている気持ちがあるのかもし れません。しかし、その誉め言葉の豊富さや上手な笑顔とジェスチャー、その表現のしかたに 歴史があるので、本当に上手に誉め、誉められた方も誉められ上手なので、気分良くそれを受 け入れます。しかし、日本ではその誉め方の訓練がないため、誉めてもアメリカ式誉め方から みるとまだまだ控えめも控えめです。ただし、最近のサッカーや野球などの運動選手の誉め方、 あるいは喜び、感動の表現は外国並みになってきたようで、おどろいています。日本の野球の 選手達がアメリカ人のように手と手を空中でたたく動作のハイファイブをしている姿をテレビ でみて、ほー日本でもやっているんだ、と思ったのです。確か10数年前にはなかった習慣だ ったと思うのですが、間違いでしょうか?
とにかく、アメリカでは誉めて誉めて誉めちぎります。それも実にオーバーに。我が子がホー ムランでもかっ飛ばせば、「Good job!」から始まって「You are wonderful!」「You are marvelous!」「You are great!」「You are the champion!」「You are the best!」「I'm proud of you!」、「This is my child!」 「Your are the best person I ever met in my life!」など、日本人なら歯が浮きそうな、それでいて 月並みでその辺のどんな道ばたにでも落ちていそうな美辞麗句を親、コーチ、先生、友人の親 たちはずらずらと並ばせることが瞬時にできます。我々日本人ならそれこそ「すごい、よくや ったね」ですませそうな、あるいは「ああ、あともうちょっと頑張れば優勝できたのに」とい う場合でも、上記のような誉め言葉が雨あられのように浴びせられるわけです。これら賞賛の 言葉はその結果に対して発せられるのもありますが、失敗してもそこまでに至った過程を誉め るために使われることは注目すべき現象でしょう。
アメリカの子どもたちはこんな環境に育つので、「やればできる」という自信につながり、アヒ ルの子が白鳥になることが多いのかもしれません。これは何も子どもに限ったことではありま せん。ビジネスの社会でも、成績が良かったり、会社の成長に貢献するようなことをすれば地 位プラス給料でその人の努力を慰労します。
どこの局か忘れましたが、日本発祥の「たまごっち」やニンテンドーの人気ソフト、あるいは 青色発光ダイオードを発明した日本人達を扱った番組がありました。そこで発明者・発案者た ちの給料や地位を聞いたアメリカ人コメンテーターは、「なぜ日本の会社はこの程度の報償しかしなかったのだろう?」とびっくりしていました。実際、青色発光ダイオードの発明者はアメリ カの大学へ呼ばれたそうですね。もう少し、日本の会社の誉め方が上手なら、優秀な人間をみ すみすアメリカに取られることもなかったでしょうに。
ただ、何でもそうですが、やはりここにも行き過ぎがあります。このあたりが誉められた人間 が伸びるか伸びないかの分かれ道になるのでしょう。つまり、誉められすぎて「自分はこれで 良い」と思ってそれ以上伸びなくなる人と、「できないと思っていたのにできるんだ」と感じて それ以上に頑張り、のびてゆく人の二とおりです。
次女の体験からです。 ある日、中学生だった次女が学校から帰ってきて、「もうあの先生の言うこと信じられない」と 言うのです。その理由を問いただすと、こんな話をしてくれました。
「私がちょっと描いた絵をA先生は誉めまくるの。でも、私はぜんぜん良いと思っていないの よ。だいたいアメリカの先生は誉めすぎるわ!」 娘いわく、「アメリカの先生は作品をじっくり見もしないで、いつも誉めさえすれば良いかと思 って誰にでも言うの。私はあんな誉め方されてもぜんぜんうれしくないのに…」。 当初は、娘のへそ曲がり、と思っていました。それでも、娘のこの発言を聞いてからはアメリ カ人の誉め方に注意し始めました。確かに、大人も子どもも誉めあいます。それは彼らの挨拶 の一部のようでもあります。
アメリカで訓練を受けたことのある日本のシンクロの選手が、「あちらで誉められてばかりいた ので自分はそれで良いと思っていましたが、世界の選手と競い合ったらまだまだ訓練が足りな いことが分かりました」とテレビのインタビューで言っているのを見たことがあります。
誉められすぎると天狗になってそれ以上伸びない人と、逆に伸びる人もいるのですから、誉め るのも簡単じゃありませんね。
NHK「さくら」の中の異文化コミュニケーション(24)