SHIN'S ESSAYS(エッセー集)

2002年 5月 23日 (木)

NHK「さくら」の中の異文化コミュニケーション(17)

■ NHKの新番組 
あのドラマの中で起こる様々な事がらから日米の文化・習慣の違いをたくさん学ぶことができます。 そんな違いを18年間(アメリカと中米)に在住した体験を通して話していきたいと思います。

「グローバル化の中のローカル化」

番組の嫁と姑問題から「この話を先にしておかないとわすれそうになる」と書 きたくなったことを思い出したので、話を日本語の独特な敬語に移します。

院生のころ日本語クラスの助手をしながら、「ああ、日本人に生まれて良かっ た」と心の底からため息をつくほど思ったのは自分が日本語を自然に覚えたこ とでした。つまり、外国人が日本語を覚える苦労を見ていると大変難解な言語 だということに気づいてきたのです。

外国人が「だまされたあー」とある程度日本語を学習して不満を言い出すのは、 この尊敬語、謙譲語、丁寧語を学びだした頃です。最初は数字やひらがな、カタ カナ、簡単な挨拶、漢字くらいなので、
「オオ、書いてあるとおりに読めばいいのか。何?数字は英語の11や12の ように考えないで10と1の単語を続けて言えばいいのか!なんだ楽な言語 だ!」。
こうホイホイと日本語学習をスタートします。

ところが、目上、目下に気を配りながらの会話や、会社社長にお客さんから電 話がかかってきたとき、社員は「山田はただ今外出しております」と社長を呼 び捨てする会話学習段階になってくると、学生たちはとたんに目を白黒し始め ます。
「さっきまで、会社の上司にはxx社長とかyy部長とリスペクトした呼びか たで呼べと教えてたのに、こんどはそれを使うなというのはいったいどういう こと?!」
となるわけです。

彼ら全員が「Oh, my God!」と頭を抱える風景が皆さんにも想像できるでしょう?

われわれ日本人でも使うのが難しいこの敬語・謙譲語の学習がスタートする頃 になると、スタート時に日本語を取っていた学生の半数が1年後にいなくなり ます。2年後にはまたその半分。次の年またその半分。そういうわけで、4年 生になってまだ日本語を勉強している学生は相当の頑固者か言語学者向きな人 間か、非常な変わり者か、超エリートのいずれかでしょう。ですから、きちん と大学で4年間日本語を勉強してきた外国人は並大抵の学生ではないことをお 伝えしておきます。中には源氏物語の原本をすらすら読んで理解できる人もい ますので。

まあ、そんな理由もあって、ぼくが「ああ、日本人に生まれて良かった」と言 うのはお分かりいただけたでしょうか?

では、番組の中に話をもどしましょう。

「伝統の技をうしなってはいけない」。こういう沼田屋主人孫作さんの言葉を 取り上げて今度は日米の伝統の違いを話題にしたいと思います。
沼田屋では和ローソクを作っています。日本には何百年も続く日本独特の芸術、 技術がたくさんありますが、北斎や写 楽の浮世絵版画のようにその芸術性に日 本人自身が気づかず外国人から指摘されて再認識するケースがありますよね。 バブルがはじけて少なくなったとはいえ、世界中で日本語を学習する人はいま すので、今後さらに我々日本人の目を開けさせてくれる人たちが現れてくるで しょう。

ただ誤解のないように言っておきますが、一般的に日本人が外国事情を知って いるほど諸外国の人が日本を知っているとは限りません。40年ほど前のこと とは言え、ドミニカで使っていた歴史教科書にあった日本説明の写 真には侍と 芸者、それに人力車が写っていたので、先生にこれは100年ほど前の写 真だ と抗議したことがあります。

つい最近、作家の村上龍氏とサッカーの中田英寿氏のネット対談を読みました。 その中で村上氏がこんなことを言って中田選手を驚かせている部分があります。

「最近面白い話を聞いたんだけど、今ごろになってヨーロッパのサッカージャ ーナリストが、お互いに電話し合って『日本と韓国って、陸続きじゃないらし いぞ』って、慌ててるらしいんですよ。『おい、日本と韓国って間に海がある じゃないか。どうやって移動するんだ』って…」

これは村上氏が話を面白くするためにオーバーに言っているわけではないよう です。 日本の子どもたちは何も知らないと憤慨する日本の大人たちがいますが、アメ リカのこんな話をすると少しは気持ちが落ち着くかもしれません。アメリカで も「最近の若者は…」と嘆く大人たちは多く、そんな嘆きをテレビで扱っていました。

道行く白人の女の子たちをつかまえて「アメリカ合衆国の首都はどこ?」と 尋ねて地図を見せます。若い女の子たちはテキサス付近を適当に指さしながら 「この辺?」。

長女の話です。高校の同級生に日本地図を見せながら「これが日本よ」と説明 したら、「で、日本はどこなの?」と尋ねるのです。なぜそんな質問をするの か不思議に思っていると、日本列島を中国と間違えていたのですね。ぼくもマ リスト高校で教えているとき日本の高校生の方がずっと物知りだと思いました。 日本の高校生は受験勉強で頭の中に情報が詰まっていますから。しかし、大学 生になったとたん、まるでコンピュータのRAM(ランダム・アクセス・メモ リー)のようにその中身は蒸発してしまい、アメリカと逆転してしまう現象を みていると「まったく何のための勉強?」と残念でなりません。

変なところで、日本は「お受験的伝統」を作り上げたとおもいませんか?こん な伝統はできるだけ速やかに廃止してほしいですね。ただ、ぼくも第一次ベビ ーブーム時代の受験勉強を通 過した人間なのでそのポジティブな二点を指すこ とはできます。一つ目は、この受験勉強を通 して得た知識は今でも役立ってい るということと、二つ目は「やればできる」という信念をもったことでしょう。

ところで、日本の伝統から思い出しました。 日本の大学で経営学を教えている友人と、じっくりその技術を話す機会があり ました。彼曰く、 「中小企業が培ってきた日本のお家芸とも言える繊細な匠技術を引き継ぐ若い 世代が減ったために、東南アジアや中国へそれを持って行かざるを得なくなっ た。そんな技術をコンピュータに置き換えようとしている会社もあるが、カン というものもありそれを数値化するのはそう簡単ではないようで、これからが 大変だね」

今起きつつあるグローバル化は時代の流れでしょうが、何千年、何百年もかけ てえいえいと先祖が築きあげてきた技術・芸能がそのグローバル化で薄れたり なくなるのは避けなければなりません。それは、どこへ行っても同じファース トフード店が立ち並ぶアメリカの味気ない町に人気がないことに似ているよう な気がします。グローバル化の中のローカル化。こんな世界を望みたいのです が、みなさんはどう思われますか?


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