SHIN'S ESSAYS(エッセー集)

2002年 5月 16日 (火)

NHK「さくら」の中の異文化コミュニケーション(12)

■ NHKの新番組 
あのドラマの中で起こる様々な事がらから日米の文化・習慣の違いをたくさん学ぶことができます。 そんな違いを18年間(アメリカと中米)に在住した体験を通して話していきたいと思います。

「中絶問題と愛の言葉について」

ささくらのホームステイ先の沼田家に長女みどりが帰ってきて一波乱がまだ続い ていました。ここでも日本らしい一幕を見つけました。

離婚を望むみどりが妊娠していると家族の前でつげると、みどりの母親たねは、 「離婚するのならおろしなさい」と即座に命令します。このセリフを聞いて6 0年代後半から70年代にかけて「堕胎天国ニッポン」と騒がれていた頃とア メリカのこの中絶問題を思い出してしまいました。

70年代といえば、アメリカのベトナム戦争が泥沼化して日米両国の学生運動 が大変盛んな頃です。ぼくはその当時、神戸外大で学んでいましたが、授業中 に手ぬ ぐいで覆面をした学生運動家たちが窓ガラスを割って授業妨害したり、 彼らが大学の門に作ったバリケードを機動隊が突入するという事件がありまし た。こんな光景は当時日本中の至る所で見られました。

本家本元のアメリカではベトナム戦争に反対する若者たちの多くがヒッピーと なりました。女性開放運動も相まって「フリーセックス」という言葉がはやり 始めたのもこの頃です。ぼくの住むユージーンではまだ当時のヒッピー文化が 残っていて、サタデーマーケットと呼ばれる土曜日の蚤の市は映画の中でよく 見ていた70年代のヒッピーたちのたまり場のようで、タイムスリップしたよ うな錯覚を覚えます。そんな空間が週に一度毎週土曜日に町の中央公園に出現 するのです。日本からの訪問者、特に女性には一番喜ばれる場所でしょう。

話が脱線しました。この中絶問題です。アメリカでは中絶は州によって合法的 なところもあればそうではないところもあり非常に複雑です。この問題をさら に複雑にしていることは、宗教と政治が大きく絡んでいることです。

イリノイ大学の調査によりますと、1982年から96年までの間に中絶反対 によるバイオレンス被害総額は約17億円にのぼるそうです。狂信的な反対者 は、たとえ母親の命が危険にさらされている状態でも「絶対中絶反対」ですか ら、医者の射殺、クリニック放火、暴行などのような暴挙にでます。最近、そ んな反対派が自分たちのホームページ上に「堕胎を実行している悪質クリニッ クと担当医の名前」という内容を掲載して、医者たちは自分たちの命が危険に さらされるので法律で取り締まって欲しいと裁判所に願い出ましたが、却下さ れてしまいました。「表現の自由」の方が優先するという理由からです。

いずれにしても、みどりのお母さんが簡単に「おろしなさい」とテレビで言え るほど日本はいろいろな意味でまだまだ諸外国から見るといやな言葉がですが 「堕胎天国」なのでしょう。

ところで、さくらは特に自分の知らないこと、理屈の通らないことはなんでも 理解したいという「役柄」のようです。一般的なアメリカの学生はあんなもの かな、と思いながら見ています。オレゴン大学で日本語の助手をしていた頃の 話です。質問しないとせっかく払った学費がもったいないと言わんばかりに学 生たちはよく教授やぼくに質問していました。日本の大学で授業中でも放課後 でも教授に質問している光景は見たことがなかっただけに、アメリカ人の学生 たちの勉強意欲に最初の頃はずいぶん驚かされました。教える方も学生がどん なことが分からなかったのか、自分の教えたかったことが伝わっているのかと いう感触がつかめるので助かります。

東京に長年住むスイス人の友人がつい最近、 「『仕方がない』という言葉をついに使うようになった。ああ、ぼくはもう完全 に日本人みたいになったよ!」 と笑いながら言っていました。言葉の裏には、「日本人のようにすぐにあきらめ るようになった」というブラックユーモアがこめられているわけです。「なるほ ど面 白いところで日本人になったと言ったもんだなあ」と変なところで感心し てしまいました。

「だめでもともと」という精神は我々日本人は諸外国の人たちと比べるとまだ まだ弱い感じがします。ベトナム、中南米、タイ、中国、台湾、アフリカ並び にヨーロッパ各国から来た人たちに会いましたが、全員が全員積極的で身体中 からエネルギーがあふれている感じがしました。ぼくなど日本にいるとでしゃ ばりと思われるくらい積極的な方らしいのですが、あちらでは陰が薄れてしま います。

しかし、さくらも質問好きですね。議論してはっきりしようとする彼女ですが、 この部分が日米文化の大きな違いの一つではないかと思っています。また繰り 返してしまいますが、アメリカで「言わなくても分かるだろう」という男女間 の機微はあったとしてもそれは例外でしょうし、普段の一般人の話題にはのぼ りません。それほど、アメリカの人たちは言葉でしっかりと自分の思うことを 表現して相手に伝える必要があると信じています。

映画「ゴースト」をごらんになった方はご存じかもしれません。残念ながら日 本で見ていないので、どんな風に日本語に翻訳されているか知りませんが、英 語版では「I love you.」と主人公演じるデミー・ムーアが言うと彼氏のサムが 「Ditto.」(同じく)と何度か返事するシーンがあります。

サムが殺され亡霊となり自分を裏切った同僚に復讐を遂げた後、光の世界にい ざなわれる別れのシーンだったと思いますが、サムが「I love you.」と言うと ころがあります。いつもハリウッド映画の中で聞いていたありふれたセリフが これほど感動的なセリフになるものかと思わせる重要な場面でした。

わずか3つの単語の羅列であるこの文句には、アメリカ人の男女間あるいは夫 婦間に横たわる文化的・歴史的・宗教的な奥深さを感じます。「Ditto」という男 の真の気持ちは「I love you.」と同質なのかもしれませんが、「ditto」とは違っ た3単語の組み合わせがもつ響きを相手は期待しているのでしょう。自分の気 持ちを相手に明確に言葉で伝えなくても理解してくれるという日本人の言葉と いうものに対する扱い方を思うと、この映画で初めてぼくはアメリカ人が「I love you.」という言葉の中に一種の「言霊」とでも言えるものを感じているの ではないかと理解しました。

外国人が日本に来たときビジネスがしにくいというのも、必ずしも言葉が通 じ る通じないと言うことではなく、このあたりの日本独特の習慣が理解できてい ないからです。

ただ、これからはインターネットで即座に自分の気持ちを文字で伝えねばなら ない時代(近い将来は映像と音声ですが)が到来しました。世界の代表言語で ある英語を使って何をするにしても、さくらのように積極的に質問し理解し発 言する姿勢は今後さらに大事になってくるでしょう。


NHK「さくら」の中の異文化コミュニケーション(12)

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