SHIN'S ESSAYS(エッセー集)

ここにはこれまでの海外体験や異文化オピニオン等を載せていく予定です。

■「同じ人類なのに、よくこれほど発想が違うとは!」。これがアメリカで体験した驚きの一つです。
この記事でも日米の文化的な違いについて少し述べていますが、未だになぜこれほどの違いが出たのか解答を見いだしていません。
日本人の「農耕文化」と西欧の「狩猟文化」も原因かもしれませんし、脳の研究者が指摘するように右脳と左脳のやや異なった 使い方が起因するのかもしれません。
どうもこの模索・探索が私のライフワークとなるかもしれないと感じています。

エッセー「押しの文化と引きの文化」_第1章:先か後か

2)お尻はあっちむいてホイ

 ドミニカ共和国に住み初めて1年ほどして、家から30キロほど離れたダハボンという町の国立学校に、日本人初の寄宿生となりました。
学校の名前は、「コレヒヨ・サン・イグナシオ・デ・ロジョーラ」。舌を噛みそうな名前でしょう。実はこれでも短く言っているんです。正式な名称は…、いや、話がややこしくなるだけでしょうから、やめておきましょう。
 ぼくは11歳になっていました。小学5年生です。
 
最初の事件はこの学校で起こりました。でも、食事前か食事中にこれを読んでいる人は、ちょっと心して読んでください。きれいな話ではありませんから。
 ある日の夕方のことです。40度はあたりまえという炎天下で学校の野良仕事をしたあと、のどが渇ききっていたので水道水をがぶ飲みしました。その水が良くなかったのでしょうか、すぐにお腹がグルグルなりだしました。いきおいよく学校のトイレにかけ込んで無事用をたせたのは良かったのですが、つい我慢できず便器を汚してしまったのです。
 運が悪いことは続くものです。トイレに紙がないじゃありませんか。ぼくの頭の中は真っ白け。もう何も考えられず、気づいたら後始末もなにもできずに一目散に現場から逃げだしていました。人気はなく、誰も見ていないようでした。知られたらこんなに恥ずかしいことはありません。ほっと胸をなでおろしました。でも、掃除のおばちゃんに申し訳なくて…。
 翌日の昼休み。ぼくが尊敬する修道士のエルマーノ・メディーナ先生が、
「シンイチ、ちょっと話があるんだが、いいかね?」
と木陰のベンチに招いていっしょに腰を下ろしました。そして、いつものようにニコニコしながら、
「君はトイレの使い方を知らないのかな?」
といきなり尋ねられたのです。
 マンガの世界だったら、きっと座ったまま1メートルくらい飛び上がった絵になっていたでしょう。
《なぜ、メディーナ先生がそんなことを聞くんだろう?》心臓が早鐘のように打ち始めました。
「シ、ジョ・ロ・セ」(ええ、知っていますよ)
ぼくの心臓の鼓動が先生に聞こえてばれるのを恐れるかのように大声で答えていました。
「いや、知らないと思う」
と先生は自信ありげに言いました。
「どうしてぼくがそんなことを知らないと思うんですか?」
「うん。君はきのう学校のトイレを汚してしまったね」
 今度はあれだけ早く動いていた心臓が止まりそうになりました。《なぜそんなことを先生が知っているんだろう?だれも見ていなかったはずなのに!》
「いえ、その、あの‥‥‥」
 きっとぼくの顔は日本のゆでダコに負けないくらい赤くなっていたと思います。もうそれだけで、ぼくが「トイレ汚し犯人」と告白したも同然でした。
「ごめんなさい。トイレを汚したのはぼくです。紙がなかったので、つい何もできずに、そして恥ずかしかったから‥‥‥」
 先生はワッハハと笑いぼくの肩を軽くたたきながら、
「わかった、わかった。やはりシンイチか。とにかく掃除婦のおばさんに謝ることだね」
と、いかにも面白い発見をしたように先生は言いました。周りにいたほかの生徒はメディーナ先生が急に大笑いをしたので、きっとよほど面 白いことをぼくが言ったと勘違いしたことでしょう。
ぼくは、先生のその大きな笑い声で救われた気持ちになりました。
「はい。そうします。でも、どうしてぼくだと分かったんですか?」
 ぼくにはまるで先生が神様のように目をいつも光らせている存在に一瞬見えたのです。でも、それ以上に驚くような答えが返ってきました。
「なあに、君の足跡がくっきりと便器の上についていたんだよ」
「で、でも、足跡が便器にあったからってぼくのとは断定できないでしょ?」
「いや、あの足跡はゴム靴でね。そして学校中でゴム靴をはいているのは新入生の君しかいなかったってわけだよ」
 そうなんです。学校の規則では革靴をはかなければならなかったのですが、特に足の小さいぼくにあう靴がなくて、ずっと日本から持ってきたゴム靴を愛用していたのです。
 このとき初めて、洋式トイレはお尻をあちらに向けて便器に座って用をたすということを知りました。今なら、日本の家のほとんどが洋式トイレを使っているので、「そんなバカな…」と笑われるかもしれませんが、1950年頃はまだ日本では洋式トイレなどお目にかかるしろものじゃ
なかったのです。
 そんなことを知らなかった小学生のぼくは、ドミニカに移って1年以上トイレの便器の上に靴のままあがって、お尻をドアの方にむけて用をたしていたのでした。
 半世紀前のこの事件はあらゆる珍事件の中でもぼくにとっては決定打でした。異文化や外国の習慣に興味を持ち、家族を連れてアメリカに移住したのも、たぶんこんなことがきっかけになったのだと思います。

【次に続く】

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