SHIN'S ESSAYS(エッセー集)
ここにはこれまでの海外体験や異文化オピニオン等を載せていく予定です。
■「同じ人類なのに、よくこれほど発想が違うとは!」。これがアメリカで体験した驚きの一つです。
この記事でも日米の文化的な違いについて少し述べていますが、未だになぜこれほどの違いが出たのか解答を見いだしていません。
日本の「農耕文化」と西洋の「狩猟文化」も原因の一つかもしれませんし、脳の研究者が指摘するように右脳と左脳のやや異なった 使い方が起因するのかもしれません。
どうもこの模索・探索が私のライフワークとなるかもしれないと感じています。
エッセー「押しの文化と引きの文化」
はじめに
小学3年生から中学2年生にかけて両親と5年間中南米のドミニカ共和国に住んだことがあります。その後、オレゴン大学大学院で教育工学を勉強するために家族をつれて渡ったのですが、住めば住むほど日米の習慣の違いに驚くばかりでした。
『なぜ同じ人間がこれほど考え方が異なるのか‥‥‥。180度もちがう習慣がなぜ生まれたのだろうか』。
何年も何年も頭の片隅でくすぶっていた疑問の渦が、ある日ふと晴れるような体験をしました。
庭の手入れで汗をかきながら土をこんもりもった一輪車を押していますと、「そうか。米国は押しの国で日本は引きの国なんだ」とひらめいたのです。
昭和30年代と言えばぼくがまだ小学生の頃です。ぼくの記憶では、日本にはリアカーしか見当たりませんでした。祖父がちょっとした田圃を持っていたので、よく遊びに行き、リアカーに乗せてもらったことがありますが、当時だれも手押し車を持っていなかったと思います。
しかし、1957年(昭和32年)にドミニカ共和国に渡って初めて手押し車を見たとき、「へえー、車輪と荷台がぼくの前にある」と妙に感動しました。
そんな小さな感動がふとその庭の手入れ中によみがえったというわけです。
──前か後ろか──これが思考法の違いの原点なのかもしれません。でも、この違いの原因は何なのでしょう。小さな自然で囲まれた日本という風土のせいなのでしょうか?それとも、日本の24倍以上もある米国の広さのなせる技なのでしょうか。そんなことを考えていると、確かに同じような植物でも、日本の植物は、さも「日本の土地の広さには自分はこのサイズでいいんです」と言わんばかりにこじんまりしていて、「アメリカは広いからいくらでも大きくなっていい」と宣言しているかのようにアメリカの植物たちは実に大きいのです。
このサイズは「前か後ろか」という議論からはずれますが、要は反対現象がおきているということを言いたいのです。
これまで、いつか役に立つかな?と「逆文化」と名付けてこつこつ集めてきたカードが100枚近くなりました。一枚につきひとつの違い。それを総まとめにして、日米異文化を論じてみたいと思ったのです。
この拙文を通して、少しでも日米文化・習慣の違いを読者の皆さんにお伝えし、これからホームステイをされる人やビジネス等のコミュニケーションの場で一助になれば幸いだと思っています。第1章:先か後か
1)おいではサヨナラ
ぼくが最初に異文化を体験したのはもうすぐ10歳になろうかという頃でした。
1957年、ドミニカ共和国に両親といっしょに移住していたのですが、まだ移住して間もないある日、たんぼ(カンポ)にいたときの出来事です。
カンポのすぐ近くに住むホセというおじさんが日雇いとして父の畑仕事を手伝っていました。昼食時間、
「今日はホセの分のお弁当もあるから、ホセを呼んでちょうだい」
と母から言われたぼくは、大声で
「ホセ!昼御飯の時間だよ。ベンガアカ!(こっちにおいでよ)」
と畑の端っこで働いているホセに声をかけながら、おいでおいでと手を振りました。すると、ホセは何を思ったのか、分かったというように片手をあげるや、野良仕事をやめて、すたすたと自分の家の方に向かって歩き始めたのです。
「ホセ!ちがうちがう、食事があるから、こっちにおいで!」
ぼくは覚えたてのスペイン語でますます両手を大きく振り、両親も立ち上がって全員で呼びますが、遠すぎて声は届かないようです。でも、ホセの目は遠視と言えるほどいい目をしているので、ぼくたちの挙動は見えていたはずです。結局、その日、ホセは母が作った手料理を食べることはありませんでした。
昼食後、仕事に戻ってきたホセに、
「ホセ、昨日ミ・エスポーサ(私の妻)が君の分のランチを用意していて、昼に大声で呼んだんだが、聞こえなかったようだな」
と父が説明すると、
「おや、だんな、あっしはてっきり昼御飯だから帰れって言われているとおもったんでさ」
「でも、みんなで大きくこうやっておいでって手を振ったじゃないか。見えなかったのかな?」
「そうやって振られたから、バイバイって言っていると思って…。おいでと言うときはこの国ではこうやるんだよ」
と初めてみんな異国のボディーランゲージを学んだのでした。
日本式では、上下に手を振って、おいでおいでをします。でも、ドミニカでは、「こっちにおいで」と言いたければ、手のひらを上にしてその手で自分をあおぐような仕草をしなければならなかったのです。
当時10歳になっていたぼくには、この異文化コミュニケーションの違いは大変なショックでした。でも、それ以上に一生忘れることのできない、はずかしい逆習慣をつぎつぎに体験することになったのです。